最後まで自分らしく生きるための治療.

ガンの疼痛を適切な治療で緩和することで,最後を「苦痛との孤独な闘い」で終えるのではなく,自分らしく過ごすことが可能になる.

 悦子さんは今年1月、痛みを和らげながら治療を続ける癌研有明病院のことを知人から聞いた。転院を持ちかけると、沼田さんは一言、「行きたい」。2月15日に入院した。いつもは車酔いする沼田さんが、同病院に向かう車中、少しも眠らずに、窓の外を眺めながら「うれしいな」とつぶやいた。

 放射線治療などで痛みが消えた。全身転移を見つけてくれなかった専門病院に対して恨みごとは言わず、「じたばたしても仕方がない。これからの生活を考えよう」と、悦子さんや長女(32)、長男(30)を逆に明るく励ました。

 2月21日、沼田さんに会った。「ここに来られて、夢のよう」と、とびきりの笑顔を見せてくれた。そして、座薬でしのいでいたころを、「倉庫の中の缶詰」と例えた。「ただ寝ているだけで、何もすることができなかったから」だ。

 24日午後11時過ぎ、沼田さんはトイレに立った。起き上がった拍子に、冷蔵庫の上の置き時計が、床に落ちた。「大丈夫?」と悦子さんが聞くと、「うん」。その後、二人はまた眠りについたが、沼田さんが再び目を開けることはなかった。落ちた時、午後11時7分を指して止まった時計の時刻が、二人が最後に言葉を交わした時となった。

 沼田さんは3月、定年退職を迎えるはずだった。自宅の庭では今年も、樹齢20年のソメイヨシノが見事な花を咲かせた。書斎の窓から満開の花を眺めるのが、沼田さんは大好きだった。悦子さんは枝を数本、仏前に供えた。

 4月6日。悦子さんは、植木屋を呼んで太い幹を根元から切った。「だって、もう見る人がいないでしょう」

 最後の10日間の入院生活。「人を恨まず憎まず、決して焦らず。いつも前向きな泰雄さんらしかった」。悦子さんはこうも言った。「あの10日間があるから、これからも生きていける」