故湯川秀樹氏の奥様が死去

合掌.
世界連邦運動というものがあるようだ.

物理学者の故湯川秀樹の妻スミさんが死去
2006年05月14日21時18分

 日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者の故湯川秀樹博士の妻で、世界連邦世界協会の名誉会長として核兵器の廃絶を目指す平和運動に尽力した湯川スミ(ゆかわ・すみ、本名・澄子=すみこ)さんが、14日午後2時4分、胃がんのため京都市左京区下鴨泉川町の自宅で死去した。96歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日正午から同市東山区五条橋東3の390の公益社中央ブライトホールで。喪主は孫透(とおる)さん。

 1910年、大阪市生まれ。32年に湯川博士と見合い結婚した。研究生活を支え、秘書として国際会議などに同行。49年、スウェーデンで開かれたノーベル賞授賞式には、湯川博士と一緒に参加した。湯川博士が81年に死去した後は、博士の願いだった核兵器廃絶の遺志を継ぎ平和活動に取り組んだ。

 87年に世界連邦世界協会の名誉会長に就任。「世界中から核を廃絶するには国連に世界連邦政府を置き、地球規模で考えないと実現できない」と訴え、各国の憲法に「戦争放棄」を採り入れるよう働きかけた。

 尾池和夫・京都大学長は「今年9月の京都での湯川・朝永生誕100年記念展のオープニングにも出席していただく予定だった。ご本人も楽しみにされており、残念だ」と語った。九後太一(くご・たいち)・京都大基礎物理学研究所長は「湯川先生の遺志を継ぎ、学問的な業績や平和への純真な思いを世界に広める伝道役を務めようと、最後まで精力的に活動していた」と話した。